
私の会社より、綺麗でカッコイイデザインをする デザイン会社やWeb制作会社はたくさんあります。 ですが他とちょっと違う、私の価値や特徴はどういったものなのか? ちょっと変わった私の頭の中が、どのようにして作られてきたのか、ご紹介いたします。
私の会社より、綺麗でカッコイイデザインをする
デザイン会社やWeb制作会社はたくさんあります。
ですが他とちょっと違う、私の価値や特徴はどういったものなのか?
ちょっと変わった私の頭の中が、どのようにして作られてきたのか、ご紹介いたします。
株式会社 テラサワデザイン
代表取締役 寺沢 順一

ストーリーマーケティング専門家。
アートディレクター・グラフィックデザイナー。
1971年 長野生まれ。
日本大学文理学部哲学科卒業後、YMO高橋幸宏氏の(株)OFFICE INTENZIOに入社。
マニピュレーター(楽曲制作でミュージシャンが生演奏する以外のパートをコンピューターでプログラミング(打ち込み)によって制作し、ライブではそのオペレーションを行う人のこと)となる。
Mr.Childrenの全国ツアーを3回、槇原敬之氏の全国ツアーに2回参加。
その後、坂本龍一氏のマニピュレーターを約2年担当する。
2000年、渡英後、グラフィックデザイナーに転身。
ストリートブランドやポールスミスなどのアパレルブランドのTシャツグラフィックがキッカケで(株)FLOATING ISLAND JAPAN入社。イギリス音楽雑誌「Straight No Chaser」などの雑誌、CD・DVDなど様々なアートディレクションやグラフィックデザインを手掛ける。
2005年、父の他界と弟の病気が重なり長野へ帰郷。
長野市の大手広告代理店に入社。
クリエイティブ事業部に配属。
紙媒体をはじめTVCM、ラジオなどの広告ディレクションに深く関わる。
2007年、信濃毎日新聞広告賞受賞。
2008年、歴史的な建物をリノベーションし、新しい価値を作る、株式会社 藤屋(THE FUJIYA GOHONJIN)入社。
ブライダル事業、レストラン・宴会事業、スイーツ事業のブランドマネージャーとして、クリエイティブ制作全般、広報、PR、企画、マーケティング、を行う。
兼務で採用責任者も務め、約300名の面接・採用に関わる。
新規店舗3件の立ち上げにも参画。
在籍中に売上げを年間プラス5.4億円伸ばす成長に関与する。
2014年、株式会社TERASAWA DESIGN設立。
一般的なデザイン会社と違い、売上げを上げるため、優秀な人材を採用するためのマーケティング設計、デザイン、ストーリー設計を提供している。
(自己紹介)
1971年1月生まれ。長野市の隣の隣、山とリンゴに囲まれた人口5,000人の小さな村で、田んぼや山で遊び、フツーに育った幼少期。
現在妻と子供1人。
・小学時代:
漫画家になりたくて、徹夜の練習をする。
・中学時代:
勢いだけで生徒会長に立候補。落選してホッとする。
・高校時代:
塾の2階ベランダから飛び降て、バンドの練習へ向かう。
高校の進路相談で担任の先生に、寺沢は哲学っぽい顔をしてるから哲学科でいいんじゃないか?と言われ、何も考えず日本大学の哲学科に進学。
大学時代もフツーに過ごし、4年生になって大きな会場での就職説明会に違和感を感じ、就職活動をやめて音楽の道を目指す。
卒業後、就職せずにアルバイト生活へ。
1年後、何のコネもツテもないのに、
偶然、楽器店のお姉さんに紹介してもらったYMO高橋幸宏氏の会社にマニピュレーターとして入社。
(マニピュレーターとは、楽曲制作でミュージシャンが生演奏する以外のパートをプログラミング(打ち込み)によって制作し、ライブではそのオペレーションを行う人のこと)
その4ヶ月後からMr.Childrenの全国ツアーに参加。
計3回の全国ツアーに参加。
槇原敬之さんの全国ツアーに2回参加。
その後、坂本龍一氏のレコーディング、コンサートなどのマニピュレーターを2年間担当する。
どのアーティストも失敗が許されない全国ツアー本番の心臓部分だったので、絶対に交通事故を起こして入院とかするな!と念を押される。想定される3歩先を見据えて先回りし、情報収集し、事前にトラブルやリスクを回避する環境でした。
複数のバックアップパターンや行動予測と複数の代案、その事前準備。
段取りの最適化とタスク管理が求められる恐ろしい現場でした。
(今にして思えば、仮説を立てるのが得意だったので重宝されていた)
坂本龍一さんとの楽しい中にも厳しい仕事の中で、今でも影響を与えている考え方があります。
ある日、イギリスのニンジャチューンというインディーレーベルのリミックスレコーディングをしていた時のことです。
その日の作業を終え、教授(坂本龍一氏)が帰った後、私は勝手に、別バージョンを作っていました。
次の日、勝手にいじったので怒られるかな、、
と思ったのですが、
その曲を聞いた坂本龍一さんは私に、こんな事を聞いてきました。
何でここに、
この音を置いたの?
それは、勝手にこんな場所に入れやがって、、
という感じではなく、
真剣に、怒るわけでもなく、
一流のアーティストが、純粋に、
ペーペーの若造に聞いてきたのです。
そして、私は言いました。
「いや、、何となく、、ここがいいかなと思って、、」
「ふーん」(教授:しばらく考え込む)
その時、私は本能的に
“しまった”と思いました。
なぜ“しまった”と思ったのかというと、
偶然に頼った
“何となく良いだろう”
と思った凡人の私と、
偶然は存在せず、全てに“意図”が存在する、と思って追求する天才との違いを感じ取ったからでした。
そして、私は気づいたのです。
あーそうか、、イギリスのインディーレーベルから依頼された曲のターゲットが、
“私のような20代”だったからか、、
世界的なアーティストなのに、何のためらいもなく、ターゲットにヒアリングをして、自分にはない感覚を理解しようとしていたのだと思います。
長く世界の第一線で活躍するということは、そういうことなんだ。。
そんな姿に、何も考えず、ただ、なんとなく作業をしていた自分を恥じました。
しばらくして、私は、自分にこんな質問をしたのです。
「3年後、お前は何をしている?」
答えは「3年後も、きっと今のように坂本龍一さんの手伝いをしている」でした。
「すごいのは、教授であって、自分ではない」
私はずっと、自分の音楽を作りたいと願っていましたが、曲をつくることは出来ても、音楽で“違い”を作ることができない、と悟った瞬間だったのです。
そして私は、リセットするため、キャリアを全部捨てて、会社を辞めロンドンへ渡りました。
私の好きな音楽や文化的なものはイギリス発が多かったのです。
しかし実際に行ってみると自分が憧れていた音楽文化には実態が無く、興味が薄れていきました。
代わりに美術館などに多く通い、フランス、イタリアを回り、グラフィックデザインに影響されて帰国しました。
帰国後、独学でグラフィックデザインを勉強し、どうやって仕事に繋げるか考えていました。
すぐには仕事にならなくて、宅急便の荷物運びをしながら何とか生活をしていました。
ストレスで10円ハゲができたのはこの頃です。
しばらくして、Tシャツのグラフィックデザインを起点にアパレル関係に火がつきました。 友人の後押しもあって、ストリートブランドを中心に活動が広がったのです。
その後、ポールスミスのTシャツグラフィックデザインがキッカケで、スタイリング&グラフィックデザインの会社に入社。
アパレル関係の他に、イギリス音楽雑誌「Straight No Chaser」などの複数の雑誌、CD・DVD(ごっつええ感じのスペシャルパッケージなど)様々なアートディレクションやグラフィックデザインを多数手掛けるようになり、忙しい日々を送っていました。
そんな時、突然、父親が入院し、余命わずかとなってしまいました。
最後の一週間、24時間介護となり、私は病室に寝泊まりしていました。
病室にパソコンを持ち込んで、死にそうな父の横でデザインをしていたくらい、仕事が詰まっていたのです。
死にそうな父の横で仕事をするほど忙しいのは、ちょっとおかしい、、と思い、
父の他界後、弟の病気のこともあり、母親のことも考え、長野へ帰郷することにしました。
忙しかった私は自分で転職活動もせず、友人にどこでもいいからと、紹介してもらったのが、当時長野県で1,2を争う規模の広告代理店でした。
入社の前日に都内から引越しをして、スーツを買って、友人に頼んでおいた車を納車して、次の日に初出勤です。
入社の挨拶でお辞儀をすると、ジャケットの下から値段のタグがぶら下がっていたらしく、同僚がそっと切ってくれました。
サラリーマンの「週休2日」とういう休日の多さに衝撃を受け、それまでネクタイとスーツを着たことがない34才の春だったのです。
そこでは、クリエイティブ事業部に配属され、企画・コンペ・クリエイティブ制作、
TVCMのディレクションなどを経験しました。
某コンビニエンスストア主催のスキー場で行った音楽イベントの統括ディレクターもやりましたし、新聞15段6回シリーズでの企画・制作で、信濃毎日新聞社の広告賞をもらったこともありました。
しかし、広告代理店は、広告を売ることが仕事であって、クライアントのためのマーケティングの深い理解やクライアントの売上げを上げることに、本当の意味で、コミットできないし、時間もノウハウもありません。
全部とは言いませんが、自分の成績(売上げ)を上げることが、優先順位1位です。
コンペに勝つための広告を作る。
納品したら終わり。
など、虚しさもありました。
そんな中、長野市の善光寺門前にある老舗旅館さんが、歴史的建造物をリニューアルしてレストラン&ウェディング事業を新たに始めるというこで、
そのブランディングと採用広告をお手伝いすることになりました。
無事オープンすると、
ある日、そろそろうちに来ないか?と
そこの社長さんに誘っていただいたのです。
広告代理店社内の派閥闘争に巻き込まれ、いつまでたっても約束していた給与をもらえなかった私は転職することにしました。
辞める前に社長がデスクに来て「すまなかった、こんなに安いとは知らなかったんだ」と謝罪してくれましたが、、、
世の中には仕事もせず、お家騒動が楽し人もいるんだな、と感心しました。
そして歴史的な建物をリノベーションして新しい価値を作る、株式会社 藤屋「THE FUJIYA GOHONJIN」にブランドマネージャーとして入社しました。
ここで、他の制作会社が経験できないような実務経験を積むことになります。
同時に経営としての「ビジネスモデル」と「利益構造」を構築する経験を持つことができました。
結果から言うと、縦軸展開での事業で、入社した最初の年と退社する年の年間売上げを5億4千万伸ばすことに貢献できました。
ここで、他の制作会社が経験していないであろう私の経験を具体的に示すと、
■レストラン事業、宴会事業、ブライダル事業、スイーツ事業
・4事業の個々のマーケティングとトータルブランディング
・すべての制作物(デザイン・広告・印刷物・撮影・パッケージ・映像・HP・TVCM・PR広報など)
・各事業のマーケティング施策、KPIを基本とした4部門各マネージャーへの営業管理
(設定したKPIの数字に対して具体的な対策をその場ですぐ決断、即実行する体制を構築)
■新規店舗開発を3店舗経験
・ロールケーキ店→1,100円と1,500円の賞味期限当日限りの1種類を2年間で12万本売る。
リサーチ・ヒアリング→ポジショニング→違いを出すコンセプト・ストーリー→商品開発→店舗改装→PR→行列
・店舗マネージャーも兼任
・店頭接客販売・レジ打ち・シフト管理 ・売上げ管理 ・在庫管理 ・クレーム対応
・離職の悩み・地域会合などの出席 ・媒体対応 ・リピート施策・ロス管理
■兼務で採用責任者を2年半務める。(社員150名規模)
最高のブランディング、最高の会社とは最終的にヒトだということ、そして【売上げ拡大】と【ヒトの問題は】セットだということに気づき、ブランドマネージャーと兼務で採用責任者を務め、300名の採用・面接に関わる。
その後、体調を崩して入院。
その数ヶ月後に車の事故を起こし、独立を決意。
前向きな社長さんと合意し顧問契約を結び、株式会社テラサワデザインを設立します。
私は幸運にも、とても理解のある経営者さんによって、他では得られない、たくさんの経験をさせて頂きました。
地方の中小企業にとって重要な、全体を俯瞰して戦略を立て、戦術を実行し、改善し、ヒトを採用し、育て、まかなえない部分はパートナー企業と提携する。
お陰様で、数字を含めた企業の経営的な筋肉を鍛えることができたのです。
「地方にこそ、未来がある」
地方には、本質的で素晴らしい商品・サービスを持っている企業がたくさんあります。
そして、それを運営する経営者さんやスタッフの方がいます。
私の知識や経験が、その方々をサポートすることで、想像を超える結果を生み、地方から日本の未来を豊かにすることができるのではないかと考えています。
地方に住む私たちが、自らと社員を信じ、これからの地方や日本の未来を豊かにしたい。
未来を切りひらく努力をされている
経営者さんや企業さんと、お仕事を一緒にすることを、とても楽しみにしています。
ある日の午後、音楽家の坂本龍一氏と2人、
渋谷のレコーディングスタジオでラーメンをすすっていました。
「俺より早く食べるやつは見たことがない」
という坂本龍一さんは、早々にラーメンを食べ終え、私に質問してきました。
「寺沢くん、CDを100万枚売るには、どうしたら良いと思う?」
私は急いでラーメンを食べながらも、心の中では、
「えっ、他のアーティストより、良い曲さえ作れば、良い歌詞が書ければ、
歌がうまければ、
いつか誰かが気がついて、
いつの間にか売れていくもんじゃないの??」
「いや、まてよ、どんなに良い曲をつくる人でも、歌詞が良くても、歌が上手くても、売れない人はいっぱいいる、、というか、ほぼ売れないで終わる」
しばらく固まっていた私は答えました。
「…わからないっす、、」
「寺沢くん、日本で100万枚売らなくてもいいんだよ」
「10カ国に10万枚売れば同じでしょ」と。。
「えっ!!!すごい!」
私がなぜそんなに驚いたかというと、
その“視点を変える”考え方もそうですが、
アーティストというものは、最高の曲を作り出すためだけに、全力を注ぐものだと思っていたのに、まさか売り方のことまで考えて行動していたことに驚きました。
世界のマーケットに向けた、映画音楽などの仕事を選ぶ、「ポジショニング戦略」を意図的にとっていた、、という驚きでした。
閃きや才能によって売れていくというより、意図と意思があり、偶然ではなく、戦略によって活動が構築されていました。
だから事務所がアメリカにあるのか、、と。 歌モノである必要がないし。。
教授は他のアーティストとのコラボレーションすることも多く、国ごとに10万枚売るのと同じように、別のジャンルでも10万枚を積み重ねていました。
CM業界とのコラボレーションでも
新たな市場を開拓したり、、
ビジネス的に戦略がしっかりしていました。
それによって、大衆に媚びることがない曲作りを続けられているのだと。。
当時、この意図的に“視点を変える”考え方と戦略的に活動していることに、私は音楽以上の衝撃を受けたのでした。
これが、マーケティングの考えに触れた、一番最初の記憶です。
そして、
「世の中に、偶然はない」
偶然に見えても、見えていない、気づいていないだけで、「意図」と「意思」がどこかで働き、種が蒔かれている。
と考えるようになりました。
「世の中に、偶然はない」
これが私の基本的な考え方が生まれた
キッカケです。
やってはいけないブランディング的思考で集客失敗。
2ヶ月で繁盛店に戻した技術。
私には、2つ年下の、
ちょっと生意気な美容師の弟がいます。
ある日、髪の毛を切ってもらっていると弟が言いました。
「もう、お店、閉じようかな、、」
弟は、都内で修行を積んでから、
地元で独立をし、10年たっていました。
出店当初、周りにライバル店もなく、
予約もたくさん入っていた繁盛店だったのに、
気がつけば、大手チェーン店が、
徒歩2分のところに出店。
1キロ圏内に5件も競合が増え、
今までと同じやり方では、
集客できなくなっていました。
しかも、少しずつ、少しずつ、
顧客が減っていくので、
「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と、
ズルズル先送りしてしまっていたのです。
まさに「ゆでガエル理論」
いつも生意気な弟が、
ボソッと吐く弱音、、
「もう、厳しくなってきたな」
「やっていく自信がない、、」
弟の技術や知識、接客の良さを知っていたので、「マジかっ、」と驚き、
これは、やばい、、と。
その頃の私は、多額の予算を広告に使うブランディング的な仕事を中心に行っていました。
100億円規模の企業の取締会でプレゼンするような仕事を受けていたのです。
「弟のプライドを潰さないように、、」
そっと、、できることはないか?
悩む私に、広告代理店に勤めていた妻が、
「10周年のご祝儀ということにして、
広告をプレゼントしたら?」
とアイデアをくれたのです。
「ナイス」
早速ブランディング的なカッコイイ広告を作り、意気揚々と出稿したのでした。
反応を楽しみしていた私は、当日の夜、
弟に電話しました。
私「どう? 問合せ来た?」
弟「無いよ、、」
私「ウソでしょ、一件も?」
弟「無いよ、、」
私「本当に?」
弟「だから、、無いって!」
今度は、私が自信を失いました。
偉そうに広告を出した自分が恥ずかしい、、
このままじゃ、お店が潰れる、、
結局、今までのブランディング的な方法では、身近なヒトを救えなかったのです。
急いで、私が
「気づいていない」「知らない」
小さな会社の
「予約がいっぱいになる」方法を
見つけなくては、弟の店は潰れます。
弟の小さなお店を救うポイントは、
・価格が高いまま、
・差別化しづらいものを表現して、
・マネをされないように、
・独自のポジションを確立し、
・始めて来店してもらい、
・リピートしてもらうことです。
しかも最低限の広告費で、、
「めっちゃ、むずかしい、、」
スグに、そんな難題の解決法が、
見つかるわけがありません。
キッカケは、通販業界で知らない人がいない、数百億円売るような、とても頭の切れる大御所マーケターの先生との会話の中でした。
「30億円以上の売上げじゃないとブランディングは必要ないよ、、」
あー、私のズレは、これか、、、
小さな会社に必要なのは、ブランディングではなくて、ダイレクトレスポンスマーケティングの技術だったことに気づいた私は、マーケティングにドップリのめり込んでいきました。
ちょっと本を読んだとか、ネットに出てくる無料の情報などでは、
机上の空論過ぎて実践では使えません。
お金を出して講座に出ても、あらゆる業種をターゲットにしているので、
ふんわりしていて実際には使えません。
特に実店舗の事例は少ない。
みなさんも、そんな経験ありませんか?
それでも私は、手に入る情報をかき集め、勉強し、実際に別のクライアントさんの案件で、少しずつスキルの実践と効果を確認しながら前に進みました。いける!と思えるまで、1年かかってしまいましたが。
少し想像してみて下さい。
広告を見ただけで、
あなたが今、通っている美容室をやめて、
新しい美容室で髪の毛を切る確率は、
どれくらいあるでしょうか?
結果から言うと、
2ヶ月間で新規顧客を
81名獲得できました。
一人営業の個人美容室なので、
もうこれ以上は、今のお客さんが来れなくなるから止めてくれ!
といわれ途中で中断しました。
個人的には残念でしたが。。
リピート率は79%の64名でしたので、年間にすると64名×平均単価8,400円×6回=3,225,600円
その時の広告費は、蓄積した技術をすべて実践で試せるので、全額、私が負担しました。
ちなみに使用した広告は新聞折り込み広告9,000枚×2回だけです。
WebやSNS、ホットペッパービューティーなど、他は一切なしです。
鳴り続ける電話に驚いたのは、弟です。
忙しくなったのが、よっぽど、うれしかったのか、あの生意気な弟が、ボソッと
「おかげで、自信がついたよ、、」と
照れながら、私に言いました。
どうやら、お客さんが来なくなったことで、自分の技術や腕が悪いんじゃないかと
自信をなくしてしまっていたようでした。
そうではなく「伝え方」が原因だったとわかったことで、自信とやる気が復活したようでした。
リサーチとヒアリングを重ね、テキストを書き、弟のストーリーを書き、導線を作り、写真を撮り、ターゲットに受け入れられるために2割デザインを崩し、レイアウトをして、作ったチラシ。
弟の写真も私が撮りました。
ターゲットに響くイメージの洋服を
ポケットマネーで買い、
腕まくりの加減を指示し、
一緒に写るモデルさんを選出し、
シャッターを切ること184枚。
その中から1枚を選びます。
こうして「ストーリー」を中心にした「選ばれる理由」を練り上げたのです。
そして実はこの時、中小企業にとって、
マネされて価格競争になってしまう
「差別化」ではなく、
あなただけしか表現できない「特別化」することで、違う土俵で戦い、結果を出す方法を見つけていました。
弟は何も変わらず、そのままで「伝え方」「見せ方」を少し変えるだけで、「結果」が変わった、この技術が、きっと他の人にも役に立つと考え、
それまでの100億規模の会社でプレゼンするとか、そういった仕事ではなく、
もっと自分たちの周りで、
未来を切りひらく努力をしている企業や経営者さんのサポートをしようと
「マーケティングデザイン」に取り組むように舵を切りました。
そして、この「特別化」の「マーケティングデザイン」の技術は、
その後、高校の同級生の会社を救うことになります。
次に続く。。
「来月で辞めさせてください。。。」
「おぉ、急だな、、、ちょっと話そうか」
お昼ごはんから戻ると、
社員から突然退職を告げられました。
「あまりに突然で、何を話したか覚えていないんだよ。。」
慌てて電話をしてきた社長さんは、ちょっとパニックになっているようでした。
エース級の社員が一人抜けるということが、どれだけ会社に影響を与えることか。。
「全然そんな素振りもなかったのにショックだよ。
しかも人がいなくて、みんなで頑張っていこうと言っていた矢先なのに、、」
その社長さんは、いつも人が足りないことに将来の危機を感じ、「とにかく、人をなんとかしたい」とご相談いただいたクライアントさん(高校の同級生)です。
そのお話をいただいたのが半年前。
リサーチしてみると、人手不足が深刻な業界ということで、Yahooニュースの記事にまでなっていました。
採用できなければ、
「事業縮小」かベトナム人か、、
そうとう悩んでいました。
そこで私は、お金は掛かるけれども、コーポレートサイト全体を採用求人のための導線を引いたページ作りにリニューアルすることを提案しました。
(とは言っても、人材紹介で何人も紹介してもらうより安いですが、、)
それは、採用HPとして見るとかなり特殊な手法でした。
その手法とは、私が今まで商品・サービスの集客で成功していたマーケティングの手法を採用HPに変換応用する方法です。
7年間、1件も問合せが無かった求人申し込みが、フタをあけてみると6ヶ月で7人と面接をし、先程の退職を告げられてから約1ヶ月後、無事1人採用することができました。
そして1年で3人採用です。
今では、よっぽどいい人だったら採用する、という贅沢な状況です。
あの時、社長が私のやり方を信頼し、多額の投資をしていなければ、いったいどうなっていたことでしょう。
社長と顔を見合わせてゾッとしたのを覚えています。
実際に新卒・転職者が、いつリサーチに動いているかなんて誰にもわかりません。
私たちにできることは、求職者が御社に興味をもった時、100%見られるコーポレートのHPで「どんな準備をしておくか」ということではないでしょうか?
HPが見られているのは、今かもしれないし、半年後かもしれないし、昨日だったかもしれません。
もし、その人がエース級の会社の未来を変える人物だったら、、
いったい、そんなチャンスや巡り合わせは
年に何回あるでしょうか?
御社は、会社の成長と安定のために
今、どんな準備をしていますか?
私は、何かにハマってしまうと、
ずっと続けてしまいます。
この18年間、
個人的に「商品」や「サービス」を買ったとき、
特に「高額商品」を買った時、
なぜ、この高額商品を買ったのか?
なぜ、この会社を選んだのか?
無意識に購入した時の、
自分の「心の中」と、
きっと影響を受けたであろうものを
さかのぼり、分析して、
そのアプローチの流れの美しさを
解明したとき、
テンションが上がります。
自分は、何に心を動かされ、
「潜在意識」の中で、何がフックとなり、
どの「文章」の、どの「言葉」に惹かれ、
どの写真が影響を及ぼし、
どのような導線が敷かれていて、
どの時点で購入を決めていて、
どの要素で背中を押されて、
「購入」ボタンを押したのか?
お金を払ったのか?
を分析したり、考えることが、
私の趣味です。